今日は真面目に鞍馬の火祭りのレポ。今までにも書いていますが、時代祭の終了は14:30、そして火祭りの始まりは18:00からなので、その間に京都御苑から鞍馬寺の方まで移動しなければならないのです。でも鞍馬への移動手段は実質 叡山電鉄一本のみなので、15時を過ぎたころになると人が殺到します。あまり需要のない叡山電鉄が、この日に限っては特別ダイヤでフル稼働するぐらいなので、その人数は相当なもの…調べたところ、約15000人 鞍馬の住人の20倍を超えるらしいですね。
時代祭の記事でも書いたように急いで下鴨神社の方まで行き、まだ混雑していない14時ごろに電車に乗る。そして30分後に鞍馬到着、という計画通りのテンポで着いたわけです。やはり市内に住んでいるために自転車で移動することができたのが原因でしょうね。バスを使っていると人ごみのせいで遅くなってしまうので。 ここらへん、京都に住んでいて良かった、と思えるところです。帰りは地獄でしたが(笑) 帰りはどうしても他県からの観光客と条件が一緒になるのでね。
長々と前座を書きましたが、やっと火祭りの開始……の前に、この伝統行事の基礎知識を。ただいろいろ面倒なので、由岐神社の公式サイトから色も書体もサイズも変えずに引用。こんなんでいいのか…!?
由岐大明神は御所にお祀りされておりましたが、天慶元年に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に、当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所の北方にあたる鞍馬に地に天下泰平と万民幸福を祈念し御遷宮されたのであります。御遷宮の時、京の鴨川に生えていた葦で松明を造り道々には篝火を焚き神道具を先頭に行列の長さ10町(1Km)という国家的一大儀式により御勧請されたのであります。鞍馬の住民はこれに感激し、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが火祭の起源であります。
18時、「神事にまいらっしゃれ」の掛け声と共に火祭りが始まります。太鼓と鐘が鳴り響きながら「サイレイ ヤ サイリョウ」という独特の掛け声とともに鞍馬の街道を歩きまわります。
松明だけでなく、あちらこちらにはこのような「居座っている火」 も点在していました。鞍馬一帯は、本当に文字通りの火の海と化します。今まで火事にならなかったのが不思議なぐらいです。 以下は文少なめに。
手に持つ松明は、この様に列になって歩きます。…「この様に」って、分かりにくいよね。
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巨大松明は写真には収めきらなかったので、上の2つはネット上の京都新聞から。
鞍馬の火祭りというのは鞍馬の地に住む人たちの祭りであって、時代祭と違って決して観光客に見てもらう祭りではないんですよ。晴れ着を着た里人が力強く太鼓を叩きますが、途中からは、観光者もバチを手にする姿も。
京都は学生さんと よそさんに優しい街どすえ♪ いやホントに。
圧巻…というか、ちょっと怖いよ。
面白いことに、時間がたてばたつほど、少しずつ松明の数が増えていくんですよ。里全体に火が動き回るのでどこから発生するのかは知りませんが、21時になると、これらの火が一斉に行き神社の境内に集まり、…もう凄いことになるんです。残念ながら自分は昼の時代祭の疲れや人酔いで途中で帰りましたが。来年は祭終了の午前0時までいるつもりですよ。
この日、夕方に行った鞍馬寺散策はまた次の機会に。
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